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オランダ堰堤  

 日本最古の割石積堰堤

オランダ堰堤正面 
  

 職場の同期仲間の集いを終えての帰途,京都駅から快速電車で20分ほどの滋賀県草津駅で下車し,路線バスで約30分,大津市上田上桐生のオランダ堰堤を見学。

通称「オランダ堰堤」は,草津川の上流にあたる国有林にかかり築造以来120年近くの年月に耐え砂防堰堤としての機能を現役で果たしている。

 かつて,この付近は檜の美林であったが,奈良・平安時代に寺社・仏閣の造営のために大量の木材が伐採され,その後江戸時代には,燃料や灯かり用として小柴や松の根までも切り出され,「田上の禿げ(はげ)山」として全国的に知られる荒廃山地となった。そのため洪水が頻発し下流の村に大きな被害をあたえ集落をあげて移転せざるを得なかったほどだと言う。

 明治になってから政府は「淀川水源砂防法」を制定し本格的に各種の山腹工事や植栽など砂防工事を行った。
「オランダ堰堤」はオランダから招聘した砂防工事技術者ヨハネス・デレーケの指導の下にに造られた割石積堰堤で日本最古のものといわれる(完成年 明治22(1899))。

 堰堤の構造は,長さ34m,高さ7.1m(17段)。下流側がアーチ形なので,堰堤幅は均一ではなく5.7~7.9m。 下流側は30~35cm×40~60cm×120~130cm大の花崗岩の長方形切石を積み上げてある。この階段状の石積は,その形状から鎧ダムと呼ばれ,越流水の勢いを和らげ水叩き部(越流した水が落ちる場所)の洗掘防止効果を考えてのものと思われる。堤内部は粘土を叩き固めて造られていると推定されている。 
       
断面図

 
(ダム脇にある案内・説明板より)
           上部と下流側の石組み
               

  

 

 堰堤の設計者は田辺義三郎(安政5~明治22)
 水裏(下流面)の放水路面をアーチ型にして中央部に水を集め裾部が侵食されないようにしたり,減勢機能としての鎧ダム構造など素晴らしいアイデアは,現在でもその機能を十分発揮している。



                副堰堤
 
本堰堤の約100mほど下流に5段ほどの副堰堤がある。付近の山々から流出する土砂が如何に多量であるか,その防止のための努力の様子を垣間見る思いがした。また,付近の農業施設記念碑には,一帯の農民達が江戸時代から旱魃被害を受けて困窮した様子,営々として灌漑施設の整備を続けてきたことが記されている。

 オランダ堰堤は, 「日本産業遺産300選」1989年(平成元年)および 「土木学会選奨土木遺産」 2004年(平成16)に指定されている。